走って転んで立ち上がって

寂しさの紛らわし

ベトナムで働くということ

ベトナムで働いていると、日々寝耳に水のような出来事が多い。

突然現れては突拍子の無いことを聞いてきたりする。

各部長の出張の内容についてどこで何を食べたかと経理に聞かれても、

出張した本人でないので、そこまで把握できていない。

なぜ、本人に聞かないのか…いつもモヤッとした気分になる。

 

報連相は日本の労働文化では基本中の基本だが、私の職場では未だに徹底されていない。

 

フォーマットが何の連絡もなしに変えられていたり、

業務において問題が発生していたことを連絡しなかったり。

 

気付いた時には問題が雪だるま式に発展していて頭を抱えている。

 

よく直属の上司である部長は、先生をしているような感覚に陥るという。

うちの部長が面倒見がいいというのもあるが…

基本的なことができていないので、毎日根気よく教えている。

 

どうして私の職場がこのような状態に陥っているかというと、

これまでそのような教育をされてこなかったからだ。

現地人に教えてこなかった。

日本人が全部こなしてしまったので、彼らは指示待ち人間と化してしまった。

 

大体の出向者は日本の本社から現地の法人に出向辞令が出て任期付きで派遣される。

私の会社も何度も人が入れ替わり、様々な日本人がやってきたことだろう。

今回私が入社した時、ちょうど任期の入替時期で出向者がほぼ変わった。

社長も変わって、現社長はこのままの社風ではいけないという。

今まで誰も手をつけてこなかったところにメスを入れようとしている。

 

私は現社長と直属の上司である部長が好きだ。仕事のする上での価値観の差異というものが出てくると思うが、社長と部長の指示や方法におかしいと思ったことはない。

社長の構想を実現させたいと思うし、部長のことも信頼していてこの人なら部下としてついていきたいと思える。

 

 

業務としては戸惑うことが多いけれど、ここまでやってこれたのは社長と部長のおかげだ。

日本で精神的に死んでいた私に生きる活力を与えてくれた。

だから、私がこの会社を辞める時は二人がいなくなった時だと思う。

彼らがいなくなる時、私は自分の進退について真剣に考え始めるだろう。

それまでは日々の業務をこなしていくしかない。