走って転んで立ち上がって

寂しさの紛らわし

海外(ベトナム)で働くに至った動機①

 


よくよく聞かれる質問No.1が「どうしてベトナムで働こうと思ったんですか?」である。
いつもはサラっと、「若いうちに挑戦したかったんです~」とか、「日本に飽きちゃって~」と答えたりする。
それで、訝しがられるような反応をとられた場合はもっと真面目に回答するようにしている。

一番の理由は、

日本の働き方や労働文化に違和感を感じたから。


私は東京23区で生まれてから高校卒業までの18年間を過ごした。
山手線や中央線、地下鉄丸の内線、京急・・・たくさんの路線に乗った。
ただ、朝と晩に電車を利用する時の満員電車が苦痛で仕方なかった。肌が触れ合う、あの密着した距離感がどうしても受け入れられなかった。
また、サラリーマンたちのどんよりとした雰囲気。どう見ても人生楽しそうには見えなかった。


”私も働き始めたらこんなに摩耗して、どんよりした顔をしてただただ変わらぬ日常を繰り返すのだろうか”


恐ろしくなった。平均寿命から何もなければあと60年生きられるとして、こんな生活はしたくないと強く思った。

さらに、残業。日本では当たり前だ。文化である。これもどうしても納得できなかった。
自分がやらなければならない仕事が終わらないのは自己責任だが、周りの雰囲気での残業???
どうしたって、早く帰りたい。非効率すぎではないか・・・?

私は両親が公務員という家庭に生まれ育った。
両親共々よく働く人たちだったので、平日はほとんど祖父母の家に預けられ、幼少期に両親と接した時間はかなり少なかった。
彼らは仕事が一番大切だった。休日こそ家にいたが喧嘩が絶えず、わめき声と怒鳴り声の連続だった。
どうしてこんなにピリピリムカムカしているのか。幼児の無力な私は両親が大きな声を出さずに静かにして欲しい、仲良くして欲しいとひたすら祈るしかなかった。

私は彼らの働きのお陰で良い生活ができたし、そこそこ裕福な家庭だったと思う。
しかし、失ったものも大きかった。私には家族が仲良く過ごすという情景が未だに見えない。
なぜ彼らは私を一人にしてまで、働き続けたのか。生活のため?それはそうだ。
生活するにはどうしたって金は必要だ。最重要である。金からは逃れられない。
でも、こんな惨めで寂しい思いをさせてまで稼ぐ意義とはなんだ?
それでも彼らがしてきたことは、正しいことだったのだろうか。


家庭が仕事に殺された。


家族のために働くことが日本では当たり前の価値観になっているが、それで家庭が殺されかけてはいないだろうか。
家族を養うために働いた結果、金以外の、大切なものを見失ってはいないだろうか。

いつまで摩耗し続けるんだろう。
私は彼らのように気付かぬうちにいろんな物を犠牲にしたくなかった。
そう思ったら、途端に働くことが恐ろしくなり、気力も減退した。
働きたくない・・・・でも、自立して生活するには金が必要だ。


熟考した結果2016年現在、私の考えや意思に沿った働き方は日本では達成できないという結論に至った。
それは文化、価値観、日本人的気質など全てを考慮した結果である。
また、私自身の今の能力、経験、市場価値からしても非常に難しいことだった。
20代の小娘が残業なし、プライベート重視、通勤時間短縮など、日本で達成できるわけがないのである。

どうするか・・・ならば海外は?
欧米やヨーロッパでは就労ビザのハードルがものすごく高い。高すぎる。
日本から遠いし、物価も高い。生活水準が高いためそれなりの給料が貰えなければ生活できない。

インターネットで必死にネットサーフィン。
そして、見つけてしまった。


”東南アジア就職”


なんだろう?と興味をそそられたところから、私の海外就活は始まったのだった。



長くなってしまったのでわけて、②を書きます。
それではまた。

 

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