走って転んで立ち上がって

寂しさの紛らわし

海外(ベトナム)で働くに至った動機②

前回からの続きです。

心から働きたくなかった。

どうにかして労働することから逃れたかったが、働かざるもの食うべからずである。

働いてないとか・・・ヤッバ
いつまでフリーターでいるんだろうね・・・とか身を固めない限りこんな陰口は付きまとう。

若ければ許されるかもしれないが、これが30代40代になったときに本当に絶望が待っているのだろう。
私はまだ20代で若さという特権を思う存分振りかざせる世代だ。女であるから特に、だ。
女は結婚、出産、育児をとてもまっすぐなルートだったら、考えずにはいられないと思う。

キャリアと結婚と家庭と趣味と。

選択肢がありすぎる。

私はできることなら全部が欲しい。一方を取るのなら一方は捨てざるを得ない?
金と人脈とキャリア・・・全て手に入れたら、達成できるんじゃないか?

母親のような人生にはなりたくないなあ。

母は、あまり「母親」という人じゃなかった。ちょっとミーハーな石川さゆりって感じの。
主婦とかそういうのに向いてない人だなと、中学生の時には理解した。
それなのになぜ苦しそうに働いて、苦手な家事も嫌々やってるんだ。


”私はあなたとは違う人生をおくる。私はあなたができなかったことをやる”



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東南アジア就職かぁ・・・


この言葉をみつけたのは16年6月のことだった。
私は公務員試験の勉強と並行して民間就職も始めようとしていたところだった。

今考えれば、公務員なんてこれっぽちも興味なんてなかったのだ。
ただ、親に薦められたから。
「安定」だけを求めていた。

私は未来が怖くて、自分の人生に自信が持てなかった。
親も何もかもいなくなったとき、どうにかして金を稼ぐ手立ては考えておかなければならない。
金は人生で必需だ。心も体も貧しくなるのは嫌だ。

リストラがない、という理由だけで公務員を選んだ。
でも、公務員志望者なんて8割方こんな理由でなるんじゃないかと思う。
本当に使命感に燃えて公務員になりたいです、なんてまれなんじゃないだろうか。 

結局公務員には縁がなかった。
頭では分かっていても心が受け付けない。試験を受けていても腹が立ってくる。
なんでこんな試験を受けているんだろうかと邪念がいつも付いて離れなかった。
そんなことを考えている余裕はないのに。早く身を固めて働いて立派な社会人にならなければならない。
私の一族が白い目で見られるようになってしまう。
私自身も裏で何を言われているかわからない。

”働きたくなくてたまらない。あぁたまらない。でもどうしよう。” 

じっとしていても邪念が私の邪魔をするだけだ。
とにかく就活イベント、しごとセンター、ハローワーク、大学就職課・・使えるものは全部使った。

しかし、就活にも身が入らなかった。どう絞り出そうが、志望動機も浮かばない。
自分では分かっていた。入社用にチャチャっと作って、スルッと入ればいいだけだと。

私はどうやらそういうことができなかったらしい。
なんだ、このエントリーシートは?
志望動機・・・?正社員になったことないのにわかるわけないじゃんか。
労働は義務だから、国に税を納めるために働くんだ。生活のためだ。根本的にそれ以外に何の理由がある?
みんな同じスーツを着て、説明会でうなづいて気持ち悪い。
なんだこの違和感は・・・全てが受け入れられない。


そんな中での「東南アジア就職」

もちろん東南アジアなんて行ったことがない。
近くて、台湾に3泊4日旅行で行ったくらいだ。

ネット上じゃ、やめろだの、海外に出ろだのいろんな意見がありすぎて、まとまらない。
見れば見るほど、グルグルと不安になった。

とにかく本当に海外就職をした人の生の話を聞いて判断しよう。

ここからネット上の様々な海外就職イベントに手当たり次第参加した。

人材エージェントの催し物が多かったが、向こうだって私たち就職希望者は金づるなので、いい事しか言わない場合がある。
そうではなくて、きちんと失敗談や向いてない人、デメリットを話してくれるしっかりとした知識を持ったエージェントを探すことにした。


そこから人材エージェントを探して、東南アジア各国の海外就職エージェントに登録した。

この就職活動の話はまた別記事でまとめようと思う。

なかなか文章がまとめられない。
読み手を意識して書くのは難しい。もっとでろーんとした感じで書きたかったのに、私が書くといろんな事が深刻に見えてしまう。

とにかく海外就職をした動機をまとめると、

・日本の労働文化に違和感を覚えた。
・日本大丈夫か?このままでいいのか?日本の内需だけではやっていけない時代に突入したので海外に向けてビジネスを考えていく必要があると思った。だから、今のうちに海外で経験を積みたい。
つまり、日本大丈夫か?という不安を拭うためにも来る未来の状況に適応できるように海外に来た。
・両親への反面教師、反骨心。
・自分が生きていきやすい環境だと思ったから。

全然まとまっていない・・・
お気軽にコメントください。





 

【2016.12.12追記】
さらに海外で働きたい理由を掘り進めると、
「日本の未来が不安だったから」
に行き着いた。

少子高齢化もどんどん進んでいるし、私の世代の定年後に貰える年金は今よりも3割は確実に減らされると言われている。
今や日本国内市場だけではビジネスが成り立たない時代だ。

今後は少子化から、賃金の安い仕事は外国人に代わらざるを得なくなる時代が到来すると思っている。
私達の祖父母や両親世代のような老後の暮らしは出来ないのではないだろうか。

各世代の人達は自分の時代や経験から物事を語るが、それがこれからの時代は通用するのだろうか。

過ごしてきた時代が違いすぎる。

私達は生まれてから不景気で、バブル期の凄まじい雰囲気を身をもって体験した事がない。
たぶん、倹約家な若者が多いんじゃないかと思う。
都市部では自分の車を所有している若者も少なくなっているし、旅行だってバンバン行かれない。

これだけニュースで日本の行く末を憂うような情報が溢れる中で、私達平成世代は心の片隅でもみな未来に不安を感じているんじゃないだろうか。

1度会社に就社しゃすれば、結婚して、マイホームを購入して、年金で暮らしていく…
前世代まで通用していた生涯プランが成り立たない時代になったと。

これからは、口を開けてポカーンと受身なだけでは暮らしていける時代ではなくなった。
日本もまた、国際化という波に揉まれていかざるを得ない時代が来ていると思っている。

私は怖かった。
このままでいいんだろうかといつも考えていた。
来たる未来の為に、どこでも暮らしていけるようになりたい。
そして、東南アジアの市場は今後も発展し、日本にとって重要な市場になってくるだろうと。
そう信じて、国内の不安から逃れるように海外に来た節がある。
この経験を活かすも殺すも自分次第だが、頑張っていきたい。