走って転んで立ち上がって

寂しさの紛らわし

狭くて濃い日本人コミュニティ~飲み会苦手克服~

日本人コミュニティ…私は羨ましくも恐ろしくもある。
パワーにいつも圧倒されてしまう。
こちらにいる日本人は明るくて、カラッとした人が多くて私はいつもひいてしまう。

パワーとパワーがぶつかり合ったら、私が壊れそうな気がして。

元々大人数の飲み会が苦手で頷き魔になっている。
私の雰囲気が大人しく見られるようで、あまり話を振られない。

人には華というものがあって何もしなくても雰囲気で人の興味を惹くことができたり、ただいるだけで無難にその場になじみ、こなせる人もいる。

私は両者に該当しないためいつも立ち位置を見失って、私の両隣で話グループが分かれたりしてしまう。
そうなると話者はこちらを見ないし、遠いしで話も聞き取れない。
両隣がそれなので、どちらのグループにも入れない。

立ち振る舞いというものがとても難しい。
元気で明るい人がいればいるほど、萎縮してしまう。そして、取るに足らない(特に興味を惹かれない頷き人員)としてイメージが固まってしまう。

もっと積極的にいかないと友達できないなぁと思った。それなりのパワーが必要だと。
やっぱり海外生活していると、気持ちも鍛えられてムキムキになるのかもしれない。

私は外見はゴツイが、気持ちはヒョロヒョロだ。
というよりも、この文章のように理屈っぽいし明らかに面倒くさそうという印象を与えてしまう。

自分を変える事はとても難しい。
客観的に見て、変わったと言われるまで、自力で矯正するのはよほど気を張らないと無理である。

私はまだ自分が受け入れられていない。
変わりたいと思いつつも変わらないし、だからといってこのままの自分を妥協出来ない。

自分らしく、とよくいうけれどこれを自然体でやってのけられる人が羨ましい。
どうしても人からの評価や見方が気になってしまう。対人関係に問題があれば、息はしていても存在としては死んだも同然だ。

ホーチミンに来て、今後は狭く濃い日本人コミュニティに関わらざる負えなくなるかもしれない。
そこに関わらず1人で生活する度胸はまだ、ない。

飲み会に参加しただけで、ザッと気持ちが削ぎ落とされた気がした。

基本的に1対1の方が話しやすい。

私は元気で底抜けに明るくはないけど何とかやっています。
飲み会の雰囲気は苦手だけど、ぼっちはまた寂しい…と潜在的に思っている人がいればその人たちで何かをしていきたい。

文化的なコミュニティがあってもいいんじゃないだろうか…さて、どう作ろう

同じ事を思っている方がいたら、フォームでもコメントでもいいので下さい。

最近仕事が忙しいけれども、このブログには正直に思ったことを綴りたいし、続けたい。

それではまた。